参加者へのメッセージ

参加者へのメッセージ

青山 繁晴 全国から、志をもって集まるみなさんへ
青山 繁晴 あおやま しげはる

株式会社独立総合研究所 代表取締役社長・兼・首席研究員

 わたしたちの魂に触れる桜花が、まもなく開こうとする季節に、岐阜は長良川のほとりでみなさんと直にお目にかかれることを、こころから光栄に、うれしく思っています。

そもそも、この祖国では、あろうことか「国益」という言葉を使うことすら良しとされない時代が長く続いてきました。ただの一度、戦争に負けたというだけで、もはや国益すらまともに考えてはらならぬという刷り込み、思い込みのもとに日本国民が生きてきた時代がようやくに、いくらかは退き、ここにこうして、発起人や主催者やボランティアの市民の無償の尊い努力によって、はっきりと正面から国益を掲げた講演会を開くことが実現します。

このこと自体、わたしたちのただ一つの祖国が、国民国家として目覚めはじめていることを意味します。

わたしは、信念として、社交辞令やお世辞のたぐいは申しません。この「国益を考える講演会」が開かれ、そこに全国から、この国の唯一の主人公である、ふつうの国民が集うことは、日本の新しい希望のひとつです。

わたしは、菅沼光弘さん、志方俊之さん、そして田母神俊雄さんという大いなる諸先輩の末席として、つたないお話しをさせていただきます。

当日は、時間もたいへんに限られていますから、講演ではお話しすることのできない、わたしと独研(独立総合研究所)のスタンスについて、少しだけ、あらかじめここでお話ししておきたいと思います。

独研には、宣伝の必要がありませんから、それではありません。みなさんに集まっていただき、お一人お一人の、かけがえのない人生の時間をお借りして、わたしのまずい話を聴いていただくということをするには、あらかじめ、わたしのよって立つところ、立ち位置をお話ししておきたく思います。

独研は、わたしの個人事務所などではなく、株式会社組織のシンクタンクです。しかし株式会社であるのは、利益のためではなく、自律のためです。

かつて経済産業省の局長さんに「青山さん、それは困るんだよ。法によれば、株式会社は利益のためにある。独研が利益のためには存在していないというのならば、NPOなどに変わってください」と言われました。

独研は、国家に税をおさめて国家財政に貧者の一灯といえども貢献したいから、NPOにはなりません。しかし、この局長さんの言う通り、法にはその定めがあります。わたしの胸のなかに、いささかの迷いが生じました。

そのとき、たまたまテロ対策で政府機関と、連携すべきを連携する仕事のために高知県警本部へ出張しました。 県警本部長(当時)との協議が終わると、珍しく、飛行機の出発時間まで余裕がありました。そこで何気なく、隣の高知城を散策しようとすると、城内で、土佐藩の生んだ幕末の志士をめぐる展示会が開かれていました。 わたしは幕末を「二千年国家の青春」と考えていて、それなりに幕末史に親しんできましたから、そう目新しい展示があるわけではありませんでした。

しかし、ある展示の前で、足が止まったのです。

坂本龍馬の創立した亀山社中、その展示でした。亀山社中は、日本で初めての民間会社と呼ぶべき存在ですが、その目指すものは日本の維新であり、列強に対峙して国益と国民を護る近代国家へと祖国を脱皮させることでありました。

なぜ龍馬は民間会社として、この倒幕組織を創ったのか。それは、自分の食い扶持は自分で稼いで、どこの殿様にもお世話にならずに自律して考え、活動するためでした。

わたしは、その展示によって、これをあらためて確認し、心の内で膝を打つ思いでした。独研も、まさしく、いかなる組織や団体からも独立し、いかなる補助金の類も受けず、完全なる公平・客観の立場から、企業、社会、祖国、世界に寄与する調査研究を行うといく理念に基づいて、日々、わたしたちなりに精勤しています。

わたしは、僭越なことを申してほんとうに恐縮ながら、「独研は、現代の亀山社中だ」と胸の奥で、ちいさく叫びました。

まさか、おのれを龍馬になぞらえるつもりはありません。そんな傲慢は致しません。

しかし、独研に集まっている若い仲間、当時はまだ数人でしたが、この2009年の春には総勢21人となっている社員たちは、まさしく現代の亀山社中の志士たちではないかと、考えています。

これまで日本には、旧財閥、銀行、あるいは証券会社などをバックにしたり、公金から補助を受けたりするシンクタンクが存在してきました。

わたしは、もともとは共同通信の記者であり、20年のあいだ、事件記者からスタートして、経済記者、そして政治記者を務め、記者の仕事を天命と考えていました。

しかし日本が初めて体験した国際テロ事件であったペルー日本大使公邸人質事件に遭遇し、みずから記者であることを辞める決心をしました。そのとき45歳でありましたが「以降、余生なり」と、こころに定めて、たまたま縁の生まれた三菱総合研究所に移り、国家の総合戦略を立案する初めての研究員として勤め始めました。

そして4年あまりを過ごすうちに『三菱グループという旧財閥をバックにした三菱総研のようなシンクタンクも必要だが、この国にはそろそろ、まったくヒモの付いていない民間の知恵、すなわち完全な自立型、ほんとうの意味の独立系シンクタンクが必要だ』と、実務を通じて痛感するようになりました。

そこで2002年、平成14年の春、三菱総研で出逢った仲間と、たった4人で独研を有限会社として創建しました。

独立総合研究所という命名は「いかなるヒモも付いていません」という意味であり、「日本国の本物の独立を目指す」という意味が、いわば隠し味(意味)であり、さらには「国家の独立のためには個人個人の自律と独立がある」という意味を込めています。

そして、いまは21人の株式会社となりました。

実際の仕事は、提言などにとどまることなく、たとえば日本の貴重な自主エネルギー源である原子力発電所をテロリズムからリアルに護るためには、何人の武装警察官や、どんな防衛上の銃器が必要であり、電力事業者とはどんな具体的な連携、どんな施設整備や共同訓練などが不可欠であるかといった実務を遂行しています。(これは研究本部・社会科学部の仕事の一例です)

あるいは日本を資源大国に一変させる海底の自前の資源、メタンハイドレートについて東京大学の良心派の清廉な学者と連携し、たとえば海底に探査機を降ろして実地調査し、国際学会でオープンに発表しつつ、政府に、既得権益から脱皮したフェアな取り組みを求めています。(これは研究本部・自然科学部の仕事の一例です)

さらには、日本の教育に寺子屋を復活させる取り組みも開始しています。(これは教育本部準備室の仕事の一例です)

すなわち、いずれも、あくまでも実務に携わっています。

したがって、わたしの立場も、評論家ではなく、ましてやTVのコメンテーターでもなく、あくまで実務家であり、そのスタンスで「国益を考える講演会」でもお話しをさせていただきます。

余談ながら、「おまえの顔を、テレビ番組で見たことがある」というかたも中にはいらっしゃるかも知れませんが、それは、わたしの世を忍ぶ仮の姿であります。

本音を申せば、日本のテレビに顔を出す、政治家、評論家、コメンテーターのかたがたのなかに、『よくもまぁ、ご自分が現場も踏まず、当事者に聴きもしていない事どもについて、ペラペラと話せるなぁ』と思わざるを得ないひとも、番組でたまたま同席するなかには、いらっしゃることがないではありません。

もちろん信頼できるかたも少数ながら、確実にいらっしゃいます。

ただ、わたしの生きざまとしては、現場をみずから踏まず、当事者に聴きもしていないことをペラペラと喋る立場におのれを置くぐらいなら、テレビに顔を出すことはありません。

名声も要らぬ、地位も要らぬ、ましてや利権は要らぬ、そして、命も要らぬ。 他のかたに、これを求めることは決してありません。独研の社員であっても、 これは求めません。

独研の社員については、利権は論外、地位もあまり求めてほしくない、しかし命は大切に、大切にしてほしい。若い彼らには、名声を求めることもあってよい。

しかし、わたし自身は、このおのれは、名声も要らぬ、地位も要らぬ、ましてや利権は要らぬ、そして、命も要らぬことに徹して、わたしが魂の内がわで一緒に生きている幕末の草奔の志士たち、そして硫黄島で戦った二万一千人の日本国民、沖縄の「白梅の塔」に眠る学徒看護隊と教員、将兵とともに、わがいのちが天命のままに果てるまでの短いあいだ、生きたいと思います。

その、ささやかな立場に立って、講演会と懇親会で、みなさんにお目にかかる光栄に浴します。

みなさん、どうぞお気をつけて、おいでください。

青山 繁晴 拝
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